あらためましてこんにちは、塩谷邦山です。
このページにアクセスいただきありがとうございます。
私は昭和時代に生まれました。
当時、祖母が痴呆症を患っていましたので、その介護を母が行っていました。
母はいろいろと大変だったろうと思いますが、子供である私の前では疲れた表情を見せたことはありませんでした。
中学の頃、父が株式投資で失敗して多大な負債を抱え、家を手放すことになり、離れた土地の借家に引っ越すことになりました。
その時に祖母の介護でも愚痴一つ言わなかった母の涙を初めて見ました。
その姿を見ているので、私は株や投資などには絶対に手を出しません。
それは今でも守っています。
高校を卒業した私は、上京して制作の道に進みました。
仕事に明け暮れる生活でしたが、20代後半の頃に結婚し、30代になった頃に子供が生まれました。
そしてその年、当時勤めていた会社の社長が自己破産し、結果的にフリーランスの制作者として働くことになりました。
しかし、フリーランスであるというだけで、ただ毎日を無我夢中で働くだけの労働者マインドのままでした。
歳を重ね、40代になった頃から体力や気力の衰えを意識するようなりました。
その時期に2回の緊急入院を体験しました。
1回目が、ストレスによる急激な血糖値の上昇のための入院でした。
そして退院後すぐに、深部静脈血栓症を併発し、再度入院することになりました。
現在は、血糖値も血液濃度も標準値に治まっていますが、当時は死んでもおかしくない状態でした。
それから、身体が思うように動かなくなったことに加え、クライアントの事業縮小などが重なり、私の仕事量は日に日に減っていきました。
ですがその時の私は、その現実に目を向けることを拒否していました。
完全な現実逃避です。
そのうちなんとかなる…
そんな妄想に逃げ込むだけの、思考力が停止した脳になっていました。
それからは、あっという間でした。
仕事減少による貧困と借金、そして精神不安定状態。
軽いウツ状態になり、時々パニック障害を起こしたりしていました。
眠れない日が続き、睡眠導入剤を処方されました。
それからは、家庭不和により離婚、子供との別居、住居売却など、一気に無くしてしまいました。
孤独死まっしぐらの負け組中高年などと、揶揄されてもおかしくない状況ですね(笑)
そうなったことで、やっと自分のこれからを考えることができるようになりました。
少しずつですが、止まっていた思考力を取り戻していきました。
そうすると新しい出会いが引き寄せられました。
YouTubeで松田悠玄メンターと出会い、独りひっそりネットビジネスという働き方を知ることができました。
そこには私のような人生に失敗した中高年が再生する光がありました。
愛と調和に溢れた、優しい集合意識の集まりでした。
やっと前へ進む決心ができた私は、独りひっそりネットビジネスを真剣に学ぶ決心をしました。
これからの時代を生き抜くためには、この働き方しかないと感じました。
独りひっそりネットビジネスは、ひっそりと独りで稼ぐ働き方です。
あらゆる影響を受けない、自由な働き方でもあります。
今の私は、独りひっそりビジネスの学びとマインドセットを高める学びに、自己投資をし続けています。
おかげさまで、50代で心機一転、新しい前向き人生へ爆進することができております。
ありがとうございます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。