昭和型の根性社会はオワコン

雑草は踏まれても立ち上がらない

塩谷邦山

塩谷邦山(しおたにほうざん)です。 独りひっそりネットビジネスで、お金の不安から解放された豊かな人生を引き寄せるため、アルファソートの学びを続けています。

こんにちは。

50代で心機一転! 引き寄せの法則で生きることを決めました。

塩谷邦山(しおたにほうざん)です。

私のブログを訪ねていただいた、あなたに感謝いたします。

ありがとうございます。

 

何を休んでいるんだ!

立ち上がれ!

そんなことじゃ勝ち残れないぞ!

お前はエリートじゃないんだから、もっと努力しなきゃダメだろ!

ほら頑張れ!

くじけている暇なんかないぞ!

身体にムチ打ってエリートの何倍も頑張るんだ!

こんなとこで疲れていてどうするんだ!

踏まれても、踏まれても、何度でも立ち上がるんだ!

 

『雑草魂』を見せてやれ!

 

よく昭和のスポ根ドラマなんかで耳にしたセリフです。

あなたが体育会系のクラブに所属していたなら、似たようなセリフを一度はかけられたことがあるかもしれません。

 

たまにこの体育会系のノリをそのまま会社に持ってきている方いますよね。

そんなタイプが上司だったらどうですか?

「根性だ! 努力だ! 雑草魂だ! 頑張れ! ファイトだ!」

正直、暑苦しいです。

私の若い時に勤めていた会社の上司がそうでした。

でもはっきり言いますね。

これは間違っています。

 

念のためにもう一度言います。

 

これは絶対間違っています!!

 

競争社会というのは、エリートのための社会です。

官庁や大手起業などで働いている、家柄や高学歴を誇るエリートと言われている方々がいらっしゃいます。

その中枢で働いている超エリートの方々は、それはとても厳しい生存競争に勝ち残った強者だと思うんです。

私なんかでは想像もできないような競争社会を、幼い頃から経験してきていることでしょう。

 

もちろん私はそんな世界とは無縁ですので、想像でしかありません。

仮に私がそこに参戦したら1日も耐えられない自信があります。

とてもじゃないですが、私のような庶民がそんな方々と勝負して勝てるとは到底思えません。

ましてや、そんな方々以上に頑張るなんてまともじゃありません。

 

「そんな弱気でどうする、それが雑草魂だ!!」と言われる方がいるかもしれませんね。

 

でも私達は人間なんです。

雑草ではありません。

 

踏まれても踏まれても、何度も頑張って立ち上がっていたら、完全に心と身体を壊してしまいますよ。

 

そもそも雑草魂ってどういう意味?

『雑草魂』という言葉は、元プロ野球選手の上原浩治投手が言われていた言葉です。

生命力に満ちた『雑草』と、心や精神力を表す『魂』を組み合わせて作られた造語です。

不屈な精神力とパワーで、不遇な環境から立ち上がり続ける姿を喩えて、雑草魂という言葉を使われたのだと思います。

ちなみに雑草魂は1999年の流行語大賞にも選ばれました。

 

確かに一般的に雑草は、踏まれても踏まれてもたくましく成長し続ける、生命力の強い植物として知られています。

あなたもコンクリートを突き破って成長している雑草を見かけたこともあるのではないでしょうか。

 

ですがその雑草に対する認識は間違っています。

 

雑草は踏まれても立ち上がらない!

これは農学博士の稲垣栄洋さんの言葉です。

植物にとって一番大切なことは、花を咲かせて種子を残すこと。

そのために最大のエネルギーを使うそうです。

立ち上がっても、また踏まれてしまうかもしれない。

 

だったら踏まれた状態から花を咲かせて種子を残す方法を、雑草は選択するんです。

 

立ち上がるエネルギーがあるなら、そのエネルギーで花を咲かせて種子を残すべきだと判断するのだそうです。

 

植物は『エネルギーは大切なことのために使うべき』だと教えてくれています。

なんて素晴らしい存在でしょう。

 

踏まれた雑草は立ち上がらないのです。

踏まれたら何度も立ち上がらなければいけないと考えるのは、人の勝手な思い込みです。

踏まれても何度でも立ち上がる雑草のイメージは、人が勝手に作り上げたものなんです。

 

『踏まれたら立ち上がらずに、その場でいかにして生きていくかを思考すること』

 

これが雑草魂の本当の意味です。

 

人にとって大切な事ってなに?

この日本では実家が大富豪や資産家でもない限りは働かなくてはいけません。

でもそれは、頑張って、頑張って、もがき苦しんで、心身を壊してまですることでしょうか?

誤解しないでください。

働かなくて良いと言っているわけじゃないんです。

働く理由を考え直して欲しいと思っているだけです。

 

もともと人が働く理由は、幸せに生きるためではなかったでしょうか。

なのに、いつからか働くことが1番になっていませんか?

 

幸せに生きることが1番の目的だったはずなのに、いつのまにか仕事が1番に変わってしまいます。

 

どうしてでしょうか?

 

実は以前の私はまさにこのタイプでした。

私は心と身体を犠牲にしして働き続けていました。

 

そんな状態の頃に私の友人が亡くなりました。

 

友人は入院中にベッドの上でずっと仕事のことを気にかけていました。

そんな姿に友人の奥様は、そんなことは気にしないでほかのことを考えて欲しいと言っていました。

でも私は、そんな友人のことを素晴らしいと思っていました。

自分が死の間際になっても仕事のことを考えているなんて、なんて責任感のある立派な人なんだと思っていました。

私は友人を否定する気持ちは全くありません。

友人は素晴らしい人間です。

よくお酒を飲み明かしていましたし、腹を割って話もしていました。

本当に気のあう友人でした。

 

でももし今の私があの頃にいたら、私はもっと違ったことを友人に伝えられたかもしれない。

 

友人が仕事のことを考えている時間を、もっと幸せなことに使って欲しいと願ったでしょう。

 

「そんなことは他の人に任せて、見たい映画とかない?」

「仕事なんか気にしていないで、何か話そうよ」

「仕事なんかどうでも良いじゃない、それより元気になったらどこか行きたいところある?」

 

どうしてそんな言葉をかけてやれなかったのか・・・

 

本当に大切なのは幸せに生きていくこと。

幸せに生きていくためだけにエネルギーを使いませんか?

それが人間の本来の姿です。

人が大切なのは、幸せに生きるために無理のない働き方をすることです。

あなたの幸せは本当にあなたが願っていることですか?

メディアなどの影響で洗脳された幸せにすり替えられていませんか?

仕事のために幸せを犠牲にしては身も蓋もありません。

社会生活で他者から踏みつけられると、心身共にダメージを受けます。

もしあなたが仕事で踏みつけられているとしたら、けして立ち上がろうとしないでください。

高学歴エリート、上司、心ない人々から踏みつけられても、あなたはその方々とは違う方法で、花を咲かせて種子をつければ良いんです。

その場で綺麗な花と種子をつける方法を思考しましょう。

 

現代は実にさまざまな働き方があります。

 

インターネットで調べれば、昔では想像できないような働き方で、幸せに生きている方々がたくさんいらっしゃいます。

現代は本当の意味の雑草魂を見せるにはうってつけの世の中というわけです。

 

さあ一緒に本当の意味の雑草魂を見せてあげましょう!

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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