こんにちは。
50代で心機一転! 引き寄せの法則で生きることを決めました。
塩谷邦山(しおたにほうざん)です。
私のブログを訪ねていただいた、あなたに感謝いたします。
ありがとうございます。
私は幸せには大きく分けて2種類あります。
それは『限りある幸せ』と『永遠の幸せ』です。
ちょっと抽象的な言い方でしたね。
別の言い方をすると『物質の幸せ』と『心の幸せ』です。
これも少し解りづらいですね。
ではもう少し具体的に説明してみます。
限りある幸せとは?
限りある幸せとは『物質』に幸せを求めることです。
例えば、住居や自家用車、宝石、いわゆるブランド物といった高級物質に幸せを求めることですね。
バラエティ番組で取り上げられる『勝ち組』というのが、そんな感じです。
「普段食べているお肉ってグラム8千円もするんですか!」
「すご〜い、窓から街並みが一望できるんですね!」
「このワインって1本50万円なんですか!」
「この自家用車って世界で限定10台しかないんですか!」
そして番組に出演している芸能人が口を揃えて言います。
「夢のような暮らしですね! やっぱり勝ち組は違いますね! 憧れます!」
それを観ている私達は、自分の生活と比べてしまいますよね。
あんな高級な物に囲まれた生活こそ、幸せの形に違いないと思ってしまいます。
ですが残念なことに物質はいつか壊れてしまいます。
永遠に続く物質というのはこの宇宙には存在しません。
この世に誕生した瞬間から、物質は消滅に向かって進んでいくのです。
仏教でいう諸行無常(しょぎょうむじょう)です。
諸行無常とは「この宇宙に存在するすべての存在は常に変化し消滅していき、永久不変のものなどない」といった教えです。
このことは精神論ではなく、科学的にも証明されていることです。
科学的には『エントロピー増大の法則』と言います。
簡単に説明すると「秩序あるものは、それが破壊されて無秩序状態になるしかない」ということです。
ちょっと難しいですね、すいません。
つまり形あるものはいずれ消滅するということです。
物質に求める幸せもいずれ消滅してしまうということなのです。
物質に幸せを求めるということは、常に幸せが消滅するものと認識していなければなりません。
ですから常に新しい幸せを求めて、より希少で高価な物質を追い求めていくことになります。
いわゆる『物欲』です。
それには常に金銭的な問題がつきまといます。
それも新しい幸せを手に入れようとするなら、もっと多くのお金が必要になります。
その生活を続けられるなら、それでも構いません。
それができる方は大勢いらっしゃいますし、素晴らしいと思います。
ですが生きていればいつかは困難に直面することもあります。
突然の会社倒産やリストラなどにより、今の生活自体が続けられない状況になることだってあります。
その時、物欲に支配され、お金で幸せを手に入れてきた人はどう感じるのでしょうか?
永遠の幸せとは?
永遠の幸せ、それは『心』で感じる幸せのことです。
人は心しだいで、いかようにも幸せを感じることができます。
常に心を幸せの状態にしていれば良いだけです。
自然に身を置き、そよ風に包まれ、小鳥たちのさえずりを聴きながら、猫を撫で、ただボーッとしている。
そんな時に十分な幸せを感じることができます。
心には年齢や性別、そして時間ですら関係ありません。
幼い心が輝いているように、歳月を重ねた心だって輝きます。
時間を経て輝きが増した心を持っている、魅力的な人は大勢います。
心の幸せは稼ぐ金額の大小と関係ないのです。
勘違いしないでいただきたいのは、私はお金がなくても良いと言っているのではないですよ。
お金はすごく大事なものだと思っています。
お金がなければ何もできません。
資本主義の世の中では、お金を稼ぐ力は必要なことです。
貧乏が美しいなんていう幻想も持っていません。
ある程度の貯蓄があるだけで、抱える精神的ストレスの大半はなくなるとさえ思っています。
ですが、より大金を稼ぐことに執着するのは違うと思います。
それは物質に幸せを求めている人の行動です。
お金は生きていく上で自分に見合った額で十分です。
心に幸せを求める方は、それを知っています。
もしあなたの善行のために、どうしても大金が必要な場合は、きっとその善行を成し遂げるだけの大金が引き寄せられるはずです。
宇宙はそういうふうにできいるのです。
いつかは壊れる消費期限付きの幸せに執着し続けますか?
それとも自分次第で輝き続ける、永遠の幸せに包まれますか?
物質に幸せを求めることは、諸行無常に囚われること。
心に幸せを求めることは、諸行無常を受け入れること。
仏教では、物質が消滅することに囚われるのは、苦しみを招くことと言っています。
これは宇宙の法則です。
年月と共に、物質は消滅していきます。
人の身体もそうです。
でも心は違います。
例え死ぬ間際だって幸せを感じることはできるはずです。
もしかしたら死んだ後だって、心は幸せを感じているのかもしれません(笑)。
ここまで読んでいただきありがとうございました。